前回、前々回の記事に関連して、今回はうつ状態に陥った経過を言語化していきます。
2022年の年末に鬱モードに入った時は、閉塞感で日常生活全般ダメでした。
家事もできない、子の世話もできない、大学の授業も受けられない、仕事もできない。。。
もうできないことだらけ。
今こうやって書きながら思い返してみると、
8歳と5歳(当時)の子供を育てながらオンラインで大学の授業を受け、事業の立ち上げのために資格取得して営業かけて出前教室して顧客訪問して…ってそもそもキャパオーバーになりやすい状況(笑)
その上、
事業の骨格が脆弱な時期に、出会う人たちとコミュニケーションが発生して交渉して反論して考えて決断して…と精神面でも疲れる内容が盛りだくさんでした。
特に、
今まで地域に存在しない新しい事業をしているわけで、やりたいことやビジョンを伝えると「ああした方がいい」「これはやらない方がいいんじゃない?」「それじゃお金にならないよ」と言われることが多く、
それらにいちいち釈明しながら「だってやってみなきゃわかんないじゃん!」「やってみてダメでもその過程もやり抜きたいのに!」って思うことが多く大変疲れました。
自分の事業なのになんで他人に釈明せなあかんねんって(笑)
でも、
みなさんよかれと思って色々言ってくれているわけで、わたしのことを心配で大切にしてくれているからこそ転ばぬ先の杖的発言だというのも伝わってきて、
そういう人たちに拳を振り上げるというか、石を投げ返すことができずにどんどん自分の中にネガティブな感情が溜まっていってしまいました。
ここでのポイントは、
自分の感情は感じられているし、言語化もできているんだけど、思ってるだけ。
口に出して音声にして声に出していない。自分の外に出せてないんです。
これ、
気ぃ遣いの優しい感受性豊かな人(自分で言う)にありがちだと思うんですが、
相手の好意が前提にあると嫌でも受け取ってしまうんです。
本当はノーセンキューなんだけど、「きっとよかれと思って言ってくれてるんだから受け取らないと」って思っちゃうんですね。
んで、本当は「嫌だ」って言いたい自分と、「せっかく言ってくれてるんだから素直に受け取らなきゃ」って自分の間で板挟みになって自滅していっちゃう。
いつものわたしはそこまでセンシティブじゃないのですが、この時は「意見を聞かせてほしいと言う割に他人の言うことは聞けないよね」って言われてた時期※だったので、余計に「素直に受け取らなきゃ」が強く働いて自滅していってました。
※これについては長くなるので後々記事にしようと思います。
このような顛末があったので、前回の記事で書いたように、赤の他人に対するマイナスの感情を自分の外に出すことが必要だったんだなぁと思います。
あくまでわたしの辿った経過であり、一例なので参考程度に考えていただければ幸いです。