moundtailのブログ

『人生のマウンドに立つ人を応援する』をコンセプトに掲げ、母親支援を中心に、子育て・医療福祉・組織開発の分野でケアラーズケアをしている女性経営者のひとりごと。

小学校でみた差別的授業

子どもたちの通っている小学校では、街探検やスケート教室などの先生一人では運営が難しい授業の際、『学習支援ボランティア』という形で保護者に協力を求めています。この頃は5年生が家庭科でエプロンを製作するため、ミシンボランティアを募集していました。裁縫好きなわたしは毎年参加させてもらい、ちょっと教えると素直にメキメキ上達する子どもたちにパワーをもらっています。

今年の5学年は3クラスあり、火曜日はAクラス、水曜日はBクラス、木曜日はCクラスという感じで、予定の合う日(または子のクラスが授業をやる日)に参加可能と申し込む感じです。わたしは5学年には子がいないのですが、仕事がフリーの日は参加していました。

 

今日の午前中もボランティアがあり授業に参加していたのですが、とても不思議な光景を見ました。授業開始早々、担任の先生がこう呼びかけたのです。

先生「女子は自分の椅子と荷物を持って廊下に出て」

わたし(!?)

 

当然ですが、ミシンは教室内にあります。ミシンで縫うために授業を行っているのに、廊下に出て行く意味とは…?

合理性のある指示なのだろうか?と思いつつしばらく観察していると。

しつけ縫いが終わっている女の子は教室内に戻りミシンをかけ、次の箇所にアイロンを当てるとまた廊下に戻る。廊下でしつけが終わると教室に戻る、この繰り返し。廊下ではしつけをかけるために物品を置く台がないため、中には椅子をテーブル代わりに床に直に座って作業をしている子もいました。

一方の男の子たちは、アイロン→しつけ→ミシン→アイロン…と同じ工程を行うが、ずっと教室内にいる。

休み時間になると女の子たちは使っていた椅子と荷物を一旦教室内に運び入れるように言われ。

一見するだけでは性別が違うだけで教室と廊下に分けられているようにしか見えませんでした。

 

わたしの頭で考えられる仮説は3つ。

①感染対策

②物品の紛失対策

③合理性のない担任のマイルール

順番に考えていきます。

 

①感染対策

3人いる5学年の担任の先生のうち、この先生は始終しっかりとマスクをつけていました。そこから、密を避けることで感染対策をしっかり行いたい先生なのかな?と思ったのですが、この場合性別で活動場所を分ける合理性がありません。給食班で分けたり、作業工程(ミシン・アイロンは教室、しつけは廊下など)で分けるなどであればわかるのですが、普段から同じ教室で過ごしている児童たち(しかもほぼノーマスク)なので、この措置が合理的な感染対策になりうるとは思えませんでした。

 

②物品の紛失対策

ミシンの授業ではたくさんの物品を扱います。細々とした裁縫道具にエプロンの材料など。児童が数人集まって放っておけば入り乱れて紛失したりすることもあるでしょう。各テーブルの人数を減らせば、少しはその確率を減らすことができるかもしれません。しかし、疑問が残るのはその分け方が性別によるものだったことと、3人いる5学年の担任のうちこの先生しかこの措置を行っていないこと、物品には名前をつけるように(針以外)うるさく指導されていて取り違えによる紛失が起こりずらいこと。そのため、合理性があるとは思えませんでした。

 

③合理性のない担任のマイルール

一番可能性が高いのが、これではないかと思います。①②に書いたようなことを「なんとなーく」やりたいと思った時に、便利なのが性別で二分することです。ひとクラスの男女比率はたいてい半分ですから、「男子は〇〇、女子は●●」と言っておけば簡単です。今まで自分がそう指導されてきたように、何も考えず言ってしまっているのではないかと思います。男女で分けることで保護者にどう思われるかなど考える余地もないほどにこの先生が疲れているとも考えられますが…。男女平等が当たり前のはずの令和の小学校でこのような措置が取られるとは驚きです。わたしが過敏なだけかもしれませんが。

 

【差別体験授業】というものをご存じでしょうか。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

ざっくり説明すると、二人ペアでジャンケンをして勝った方は『リボンあり』、負けた方は『リボンなし』とカテゴライズされ、好きな色や得意な教科を書く際に「『リボンあり』だから〇〇が好きよね」、「『リボンなし』だから●●にしたほうがいいわよ」と諭される。極め付けは、一生懸命折った折り紙の買取価格が『リボンあり』は100円、『リボンなし』が50円と差をつけられるというもの。

これは、ある大学の教育学部や教職員向けの講座で行われ、教育現場で絶対的権力者である教職者の言動が、児童・生徒に影響を与えるということを知ってもらうために行われている。

 

ボランティアに来ていた他の保護者に上記の疑問を投げかけると、「確かに」「気付かなかった」「男子がうるさいからじゃない?(女子は廊下にいても静かに作業できるから?でもそれなら同じ教室内に女子がいても不都合はないはずですが)」などといった反応でした。中にはこのクラスにしかボランティアに来ていないため、他の担任はこの措置を行っていないことを「知らなかった」という保護者も。

休み時間に「ボランティアありがとうございます」と顔を出した教頭にも上記について『合理性があると思えないのですが、なぜなんでしょう?』と質問すると「そうですか」「わかりました、ありがとうございます」というばかりで明確な返答は得られず。

教頭から注意を受けたのでしょう、授業再開後は女子が廊下に出されることはなく教室内で作業を行っていました。

 

きっと、この担任の先生も教頭も、差別やダイバーシティなどについてよく知らないのではないかと思います。今回のわたしのこの指摘も、「なんか小煩い保護者が指摘してきたから、形だけ直そう」という感じでしょうか。でも、わたしはこの措置についての理由を知りたいんですよね。合理的な理由がないならやめて、根拠のある指導を教育現場でしていってほしいと切に願っています。

本日中は理由の説明がありませんでしたが、明日も授業があるので、なぜだったのかちらっと伺ってこようと思います。